地域で守る伝統行事
今泉恒例の『孝子祭』に参加して(広報「上天草」平成20年6月号掲載)
市民の皆さま、こんにちは。先日、松島町今泉地区恒例の伝統行事『孝子祭』に参加してきました。
孝子祭は江戸時代から伝わる「喜左衛門さん」の親孝行を代々称え、その遺徳をしのぶ地域の伝統行事で、今年で68回目を数えます。それこそ、昔テレビでやっていた「日本昔ばなし」のようなお話です。この場をお借りしましてご紹介します。
昔々、松島の今泉に喜左衛門という大変親孝行なお百姓がいました。お百姓といっても、三段歩ばかりの田畑しかなく食べていくのが精一杯の貧しい生活でしたが、両親には真心を尽くし衣食に不自由させないよう努めました。
喜左衛門の妻も大変優しい人で、時には自ら食事を口にしない事があっても、ただひたすらに両親を慰め、心配させない心遣いをしていました。
天和元(1681)年には、農作物が不作で飢饉となり餓死する人さえいましたが、喜左衛門夫婦は山の木を切り、薪として売り両親の食事代とし、自分たち夫婦は野草や木の根を食べ、飢えをしのぎました。
父の死後も、仏教への信仰があつい母が「寺に参りたい」と言えば雨風の日もいとわず、この母親を背負い近くもない寺へとお供しました。
また、喜左衛門は貧しく、人の上に立つような身分でもありませんでしたが、税を納めることについては、決してなおざりにせず、滞ることはありませんでした。
このような行いから人々は、その素直な性格を褒め称えました。そのうち喜左衛門の行いが村から村へと伝わり、当時この地方を治めていた島原の松平主殿頭忠房公の耳に入り、天和3(1683)年3月、島原城正門前において、お褒めの言葉と白銀3枚を賜りました。
しかし、喜左衛門は褒美を自分のためには一切使わず、亡くなった両親の祭祀料に使い、その親思いの心は変わることはありませんでした。